市場の構造
株価は誰が決めているのか。答えは「誰も決めていない」。
画面に出ている株価は、どこかの委員会が決めた値ではない。 買いたい人と売りたい人の注文がぶつかった、直近の1件の取引価格にすぎない。 この章では、その1件がどう生まれるのか、 そして生まれた値がどれくらい信用できるのかを扱う。
具体的な注文の出し方(成行・指値・板の読み方)は第2部の 注文と板で扱う。 ここでは市場という装置の構造そのものを見る。
株価は誰かが決めた値ではなく、目的の違う参加者の注文が 価格優先・時間優先だけで機械的にぶつかった結果である。 だから「相手が売っている」ことは、相手が下がると見ている証拠にならない
誰が売買しているのか
「市場」という言葉は、性格の違う参加者の集まりを1語で呼んでいる。 それぞれ目的も時間軸も制約も違う。 価格は、この違う目的を持った人たちの妥協点として出てくる。
日本取引所グループは、東証の売買を投資部門別に集計して毎週公表している。 実際の内訳を見ておくと、感覚が変わる。
東証プライムの委託内訳(売買代金ベース)
| 投資部門 | 2026年7月第4週 | 2026年8月第1週 | 2026年8月第3週 |
|---|---|---|---|
| 海外投資家 | 66.6% | 69.0% | 64.4% |
| 個人 | 28.6% | 24.2% | 30.0% |
| 法人 | 4.5% | 6.5% | 5.2% |
| 証券会社 | 0.3% | 0.3% | 0.3% |
週によって数ポイント動くが、順序は変わらない。 東証プライムの売買代金の3分の2前後は海外投資家が動かしている。 個人は4分の1から3割で、法人(投信・事業法人・金融機関の合計)は数%にすぎない。
上の表を3週分そのまま帯にしたもの(数値は表と同じ)。 週によって数ポイント動くが、順序も比率もほとんど変わらない。 いちばん左の塊が海外投資家で、 どの週も帯の3分の2前後を占めている。 法人と証券会社は、帯の幅としてはほとんど見えない。
参加者ごとの目的と制約
同じ銘柄を同じ日に、一方は買い、一方は売っている。 どちらかが間違っているのではなく、目的が違えば同じ価格が買いにも売りにもなる。
- 個人 制約が最も少ない。運用期限がなく、誰にも報告義務がなく、 どれだけ現金で持っていても叱られない。 一方で情報量と分析にかけられる時間は最も少ない。 強みは「何もしなくていい自由」で、 分析力ではないことを最初に押さえておく
- 年金基金(GPIF など) 期間が数十年で、負債(将来の給付)に合わせて運用する。 目標は市場を出し抜くことではなく、決めた資産配分を維持すること。 だから株が上がりすぎれば売り、下がれば買う(リバランス)。 「良い会社だから買う」という動機で動いていない
- アクティブ運用の投資信託・ヘッジファンド ベンチマークに対する相対評価で報酬と資金が決まる。 だから絶対に儲かるかより、指数に負けないかで動く。 評価期間が四半期〜数年と短く、 「5年待てば正しい」と分かっていても待てないことがある
- パッシブ(インデックス)ファンド 指数の構成通りに持つ。価格が高いか安いかを一切判断しない。 指数への採用・除外が決まれば、割高でも買う。 この資金は価格発見に参加していない—— あとで出てくる「限界」の話に効いてくる
- 事業法人 自社株買い、政策保有株の売却、持ち合い解消。 投資リターンが目的ではなく、資本政策として売買する
- 証券会社の自己売買部門・マーケットメイカー 値上がり益ではなく売値と買値の差(スプレッド)を取りにいく。 買い注文と売り注文を同時に出し続け、 在庫が偏ればすぐに反対売買で戻す。 方向性を当てにいっていないので、 「この会社の将来性」には興味がない
これは実務的に重要な含意を持つ。 「賢い誰かが売っているから危ない」とも、 「機械的な売りだから買い場だ」とも、板を見ただけでは判断できない。 誰が何のために出した注文かは、原則として観測できない。
東証の市場区分
東京証券取引所は2022年4月4日に、それまでの 市場第一部・第二部・マザーズ・JASDAQ の4区分を、 プライム・スタンダード・グロースの3区分に再編した。
なぜ再編したのか
東証自身が挙げた課題は2つ。これを知っておくと、区分の意味が分かる。
- 各区分のコンセプトが曖昧だった。 第二部・マザーズ・JASDAQ の位置づけが重複し、 第一部のコンセプトも不明確だった
- 上場後に企業価値を上げる動機付けが働いていなかった。 新規上場基準より上場廃止基準が大幅に低かったため、 一度上場すれば水準を維持する必要がなかった。 また他の区分から第一部へ移る基準が、 第一部への新規上場基準より緩かった
そこで新規上場基準と上場維持基準を原則として同じ水準に揃えた。 これが2022年再編の実質的な中身で、 「名前が変わった」以上の変化はここにある。 上場した時の水準を、上場し続ける限り維持しなければならなくなった。
3区分のコンセプト
東証の定義そのままを引く。要約すると意味が変わるため。
| 区分 | コンセプト(東証の定義) |
|---|---|
| プライム | 多くの機関投資家の投資対象になりうる規模の時価総額(流動性)を持ち、より高いガバナンス水準を備え、投資者との建設的な対話を中心に据えて持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業向けの市場 |
| スタンダード | 公開された市場における投資対象として一定の時価総額(流動性)を持ち、上場企業としての基本的なガバナンス水準を備えつつ、持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業向けの市場 |
| グロース | 高い成長可能性を実現するための事業計画及びその進捗の適時・適切な開示が行われ一定の市場評価が得られる一方、事業実績の観点から相対的にリスクが高い企業向けの市場 |
注目すべきはグロースの定義に「相対的にリスクが高い」と東証自身が書いている点。 これは危険を煽っているのではなく、区分の設計思想そのもの。 事業実績が薄い会社を、実績ではなく計画で評価して上場させる市場だと明言している。
上場維持基準
| 項目 | プライム | スタンダード | グロース |
|---|---|---|---|
| 株主数 | 800人以上 | 400人以上 | 150人以上 |
| 流通株式数 | 2万単位以上 | 2,000単位以上 | 1,000単位以上 |
| 流通株式時価総額 | 100億円以上 | 10億円以上 | 5億円以上 |
| 流通株式比率 | 35%以上 | 25%以上 | 25%以上 |
| 売買代金/売買高 | 1日平均売買代金 0.2億円以上 | 月平均売買高 10単位以上 | 月平均売買高 10単位以上 |
| 時価総額 | — | — | 40億円以上(上場10年経過後) |
| 純資産の額 | 正であること | 正であること | 正であること |
基準の中身を見ると、ほとんどが流動性の指標だと分かる。 株主数、流通株式数、流通株式比率、売買代金——すべて 「実際に売り買いできるか」を測っている。 利益や成長率の基準は上場維持基準に入っていない。
これが示しているのは、取引所の役割が 「良い会社を選ぶこと」ではなく「売買が成立する場を保つこと」 だということ。プライム上場は品質保証ではない。
グロース市場の時価総額基準は見直しが決まっている。 2030年3月1日以降、「上場5年経過後から時価総額100億円以上」に変更される (現行は上場10年経過後から40億円以上)。 グロース上場企業を見るときは、この基準変更が効いてくる時期を頭に入れておく。
取引の時間と刻み
価格が動ける時間と、価格が取りうる値は、あらかじめ決められている。 連続した実数の上を株価が滑らかに動いているのではない。
立会時間
| 午前立会(前場) | 午後立会(後場) | |
|---|---|---|
| 立会時間 | 9:00 – 11:30 | 12:30 – 15:30 |
| 注文受付 | 8:00 – 11:30 | 12:05 – 15:30 |
後場の終了が15:30なのは2024年11月5日から。 現物売買システム(arrowhead)の更改に合わせて30分延長された。 同時にクロージング・オークションが導入され、 大引けの値段は板寄せで決まるようになった。
さらに2027年10月12日にはランダムクローズ方式の導入が予定されている。 大引けの板寄せの時刻を、一定の範囲内で毎営業日ランダムに決める仕組み。 東証は狙いをゲーミング行為(価格操作)や大引け直前の過度な価格変動の抑制と説明している。 終値をピンポイントで狙う操作を、時刻を読めなくすることで防ぐ設計になっている。
呼値の単位
注文の値段は決められた刻みでしか置けない。これを呼値の単位という。 刻みは銘柄と価格水準で変わる。TOPIX500構成銘柄は細かく、それ以外は粗い。
| 値段の水準 | TOPIX500構成銘柄 | その他の銘柄 |
|---|---|---|
| 1,000円以下 | 0.1円 | 1円 |
| 3,000円以下 | 0.5円 | 1円 |
| 5,000円以下 | 1円 | 5円 |
| 10,000円以下 | 1円 | 10円 |
| 30,000円以下 | 5円 | 10円 |
これが効いてくるのはスプレッド(売値と買値の差)は呼値の単位より狭くならないから。 刻みが粗い銘柄は、それだけで取引コストの下限が高い。 同じ株価1,000円でも、TOPIX500構成銘柄なら0.1円刻み、 その他なら1円刻みで、下限に10倍の差がある。
価格はどう決まるのか
東証の売買は個別競争売買で行われる。 値段を決める原則は2つしかない。
- 価格優先の原則 売り注文は値段の低いほうが優先、 買い注文は値段の高いほうが優先。 成行注文は値段を指定していないので、指値注文より優先する
- 時間優先の原則 同じ値段なら先に出したほうが優先。 だから同じ指値でも、後から出した注文は前の注文が全部約定するまで待たされる
値段ができるまでの流れ。 誰も値段を決めていないことに注意する。 買い手と売り手が思い思いの指値を出し、 板がそれを価格優先・時間優先で並べ、 その並びから約定値段が出てくる。 マーケットメイカーは方向を当てにいかず、 両側に注文を置いて板を厚くする役割で入っている。
この2つの原則の適用のされ方が、局面によって2通りある。
| 板寄せ方式 | ザラバ方式 | |
|---|---|---|
| 使う場面 | 立会開始時(寄付)、立会終了時(引け)、売買中断後の再開時、特別気配・連続約定気配の表示時 | それ以外(寄付と引けの間) |
| 約定価格 | 売注文と買注文から合致する値段を求め、その値段が単一の約定値段となる | 価格優先・時間優先の原則に従い、合致したものから順に約定する |
板寄せは溜まった注文を一度にまとめて、1つの値段で処理する。 寄付前には注文が積み上がっているので、 それを順番に処理すると値段が飛ぶ。一つの値段に集約するのが板寄せの役割。 このとき時間優先の原則は例外的に適用されず、 それまでに出された注文はすべて同時に出されたものとみなされる。
板寄せで値段が決まるところを見る
下は板寄せの縮小版。参加者が思い思いの値段と数量で注文を出し、 そこから1つの約定値段が決まる。 誰も「この値段にしよう」と決めていないのに値段が出てくるところを見る。
注文を集めて値段を決める
値段ごとの累積の買い需要(右下がり)と売り供給(右上がり)。 2本が交わるあたりで約定株数が最大になり、そこが約定値段になる。
色が付いた行が約定した注文。 約定値段より高く買いを出した人は、その値段では買えている—— 指値より安く買えるのが板寄せの性質。
板寄せの値段はどう選ばれるのか
東証の板寄せは、単純に言えば最も多くの株数が約定する値段を選ぶ。 なぜそれが妥当なのかは、需給曲線で考えると分かる。
- ある値段 P を仮に置く。 P 以上で買うと言っている人は全員買える(それより安く買えるので文句はない)
- 同じく P 以下で売ると言っている人は全員売れる
- だから P での約定株数は
min(P以上の買い注文の合計, P以下の売り注文の合計) - P を上げると買い手は減り、売り手は増える。下げると逆になる
- この2つの曲線が交わるところで
min(…)が最大になる。 そこが約定値段
需要曲線と供給曲線の交点という教科書の図が、 ここでは比喩ではなく実際の計算手順として動いている。
なぜ株価は「正しい」値になるのか
板寄せは注文から値段を作る手続きにすぎない。 問題は、そうやって出てきた値段が、会社の実際の価値を反映しているのか。
これに答えようとしたのが効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis)。 ユージン・ファーマが1970年の論文 "Efficient Capital Markets: A Review of Theory and Empirical Work" (Journal of Finance, Vol.25, No.2)で整理した枠組みで、 3つの形式に分けて述べられる。
3つの形式は、それぞれ別のことを主張している
「市場は効率的」という一言でまとめると必ず誤解する。 何の情報が価格に織り込まれているかの範囲が、3つで違う。
| 形式 | 織り込まれているとする情報 | 成り立つなら無効になるもの |
|---|---|---|
| ウィーク型 (weak form) |
過去の価格と出来高 | チャート分析。過去の値動きから将来の値動きは予測できない |
| セミストロング型 (semi-strong form) |
公表されているすべての情報(決算、開示、報道) | 公開情報にもとづく分析。決算を読んでも超過リターンは得られない |
| ストロング型 (strong form) |
未公表の内部情報も含むすべての情報 | インサイダー情報すら役に立たない |
3つは入れ子になっている。 セミストロングが成り立てばウィークも成り立つ。逆は言えない。
3つの形式が「どこまでの情報が織り込み済みだ」と主張しているかを、 情報の広さの数直線で見たもの。 右へ行くほど強い主張になり、左の主張を含む。 印は各形式が「ここまでは織り込み済み」と言っている到達点。 ウィーク型が過去の価格だけなのに対し、 ストロング型は未公表の内部情報まで含むと主張する—— この1本の上のどこに立つかが、3つの違いのすべて。
本文の「実際にはどこまで成り立っているのか」を棒にしたもの。 支持の強さであって、確率ではない(生成データではなく、 本文に書いた3つの評価をそのまま長さにした指標)。 ストロング型は成り立っていないことに合意があり、 セミストロング型は決着していない。
注意すべきは、この仮説が言っているのが 「株価が正しい」ではなく「情報を使って勝ち続けるのは難しい」 という主張だということ。株価が本質的価値と一致するとは主張していない。 新しい情報が出れば価格はすぐ動くが、 その動いた先が正しい保証はどこにもない。
実際にはどこまで成り立っているのか
ここは証拠が割れている領域なので、割れていることを含めて書く。
- ストロング型は成り立っていない これは合意がある。だからこそインサイダー取引が 法律で禁止されている。禁止する必要があるのは、 内部情報が実際に儲かるから
- ウィーク型はおおむね支持される、ただし完全ではない 短期の値動きから系統的に儲け続けるのは難しい、という点では概ね一致。 ただしモメンタム(過去の勝ち銘柄が勝ち続ける傾向)のように、 過去の価格情報だけで説明できる現象が長年報告されており、 ウィーク型の厳密な形は棄却されている
- セミストロング型が最も争われている アクティブ運用の成績が振るわないことは効率性の証拠とされる。 一方で決算発表後のドリフトや、後述するアノマリーの存在は反証とされる。 ここは決着していない
効率的市場仮説には単独では検証できないという構造的な問題がある (joint hypothesis problem、Fama自身が指摘した)。 「超過リターンがあった」と言うには「正常なリターンはいくらか」を決めるモデルが要る。 だから検証は常に「効率性」と「使ったモデル」の同時検定になり、 異常が見つかっても、市場が非効率なのかモデルが間違っているのか区別できない。 効率的市場仮説が延々と決着しないのは、この構造による。
アノマリーと、公表されると消える現象
効率的市場仮説に合わない規則性をアノマリーという。 小型株効果、バリュー効果、モメンタム、1月効果など、 数百のアノマリーが学術論文で報告されてきた。
問題は報告されたあとどうなるか。
公表後にリターンが縮む
McLean と Pontiff は2016年の論文 "Does Academic Research Destroy Stock Return Predictability?" (Journal of Finance, Vol.71, No.1)で、 学術誌に載った97のアノマリーについて、 論文のサンプル期間終了後と、論文公表後のリターンを比較した。
結果は、サンプル期間外でリターンが約26%減少し、 公表後にはさらに減って合計で約58%減少したというもの。
著者らはこの内訳を次のように解釈している。 サンプル期間外の26%減は、統計的な偶然(データマイニング)の影響の上限—— 論文になった時点で、たまたま強く出ていた分が剥がれ落ちる。 そこからさらに減った差分32ポイント(58% − 26%)が、 公表を知った投資家が実際に取引したことによる消失にあたる。
なお26%を「上限」と呼ぶのは、 サンプル期間外の低下には偶然以外の要因も混じりうるため。 著者らはこの点を明示して、控えめな解釈を取っている。
この結果の読み方は2通りあり、どちらも部分的に正しい。
- 市場は学習する——公表された儲け方は、 人が使うことで消える。これは効率的市場仮説を支持する方向の証拠
- そもそも半分近くは幻だった—— 大量の変数を試せば、偶然に見える規則性はいくらでも見つかる。 論文になるのは有意に見えたものだけ(出版バイアス)
実務的な含意は明確で、しかも身も蓋もない。 本に書いてあるアノマリー、記事で紹介されている「勝ちパターン」は、 すでに公表されている。 McLean-Pontiff の結果が示すのは、 論文公表後にリターンが平均して6割近く縮むという傾向。 知られている手法が知られたまま効き続けると期待する理由は薄い。
裁定取引——価格を揃える力
効率的市場仮説が想定している「価格が正しくなる仕組み」の中身は、 実は裁定取引(arbitrage)である。 仮説が成り立つかどうかは、この力がどこまで働くかで決まる。
仕組み
同じもの、あるいは同じキャッシュフローを生むものが、 2つの値段で取引されていたとする。
- 安いほうを買い、高いほうを売る
- 2つは同じものなので、価格変動のリスクは打ち消し合う
- 差額がリスクなしの利益として残る
- この取引自体が、安いほうを押し上げ、高いほうを押し下げる
- 差がなくなるまで続き、差がなくなったところで止まる
重要なのは4番目。裁定取引は儲けを取ると同時に、 価格差を消す方向に働く。 「賢い投資家が儲けようとする行為が、結果として価格を正しくする」 というのが効率的市場の説明の核心。
現物株と株価指数先物の間、ETFと組入銘柄の間、 同じ会社の異なる市場での上場(重複上場)の間などで、 この力が常時働いている。 次章の商品の中身で扱うETFの価格が 基準価額に近く保たれるのも、この仕組みによる。
裁定の限界(limits to arbitrage)
では、なぜ価格のゆがみは完全には消えないのか。 教科書の裁定取引は「リスクなし」だが、現実の裁定はリスクを伴うからだ。
Shleifer と Vishny が1997年の論文 "The Limits of Arbitrage"(Journal of Finance, Vol.52, No.1)で 定式化した論点が、今も基本文献になっている。
- ゆがみが拡大しうる 割高なものを売り、割安なものを買っても、 ゆがみがもっと大きくなる可能性がある。 正しいと分かっていても、途中で資金が尽きれば負ける
- 他人の金で運用している ここが Shleifer-Vishny の中心。 裁定を実行するのは主に運用会社で、資金は顧客のもの。 成績が悪化すると資金を引き揚げられる。 ゆがみが拡大した局面——つまり最も機会が大きい局面——で、 ポジションを増やすどころか解消を迫られる。 裁定の力が、最も必要なときに最も弱くなる
- そもそも「同じもの」がないことが多い ある株が割高だと考えても、 完全に代替できる証券は普通は存在しない。 近い銘柄で代用すると、それはもうリスクなしではない
- 空売りにコストと制約がある 株を借りる料金がかかり、貸し手が返却を求めれば (踏み上げ)強制的に買い戻さされる。 借りられる株数にも限りがある。 割安を買う裁定より、割高を売る裁定のほうが難しい—— だからゆがみは上方向に偏って残りやすい
- 実行にコストがかかる 手数料、スプレッド、市場インパクト。 小さなゆがみはコストに埋もれるので、 コスト以下のゆがみは消されずに残る
流動性とは何か
ここまで何度か出てきた流動性を、正面から定義しておく。 上場維持基準がほぼ流動性の基準だったことからも分かるとおり、 これは市場の中心的な概念。
どれだけの量を、どれだけ速く売買できるか
定義に3つの要素が入っている。この3つは独立に測れる。
- 幅(スプレッド) 最良売気配と最良買気配の差。 今すぐ買って今すぐ売ると、この差だけ確実に損する。 往復の最低コストにあたる
- 深さ(デプス) その気配値に、どれだけの株数が並んでいるか。 浅ければ、少し大きな注文で値段が飛ぶ
- 回復力(レジリエンシー) 大口注文で値段が動いたあと、 どれくらいの速さで元に戻るか。 新しい注文が入ってこなければ戻らない
なぜ流動性が重要なのか
流動性が低いことの帰結は3つある。どれも実損につながる。
- 売買のたびにコストがかかる。 スプレッドが広ければ、往復するだけで数%失うこともある
- 売りたいときに売れない。 買うときは待てるが、売るときは待てないことがある。 流動性は下落局面で急に痩せるため、 必要なときに限って無い
- 価格が実態を反映しなくなる。 取引が薄いと、値段が更新されないだけで 「安定している」ように見える。 リスクの測り方で触れた、 流動性の低い資産のσが小さく出る問題がこれ
3番目は特に厄介で、流動性リスクは リスク指標を小さく見せる方向に作用する。 危険なほど、数字の上では安全に見える。
空売りと信用取引が価格形成に果たす役割
空売りは「株価を下げる悪者」と語られることがあるが、 価格発見の観点では明確な機能を持っている。
なぜ空売りが要るのか
空売りができない市場を考えてみる。
- ある会社が割高だと考えた人は、何もできない—— 持っていなければ売ることもできない
- 結果、価格に反映されるのは強気の意見だけになる
- 弱気の情報を持っている人が市場に参加できないので、 価格は上方向に偏る
- やがて実態との差が耐えられなくなったところで、一気に修正が入る
Miller が1977年に指摘したこの構造("Risk, Uncertainty, and Divergence of Opinion"、 Journal of Finance, Vol.32, No.4)は、 意見が分かれていて、かつ空売りが制約されている銘柄ほど割高になりやすい と予測する。空売りは、弱気の見方を価格に載せる経路として働いている。
ただし公平を期すなら、空売り規制が価格発見を改善するかどうかは 実証的に完全な決着を見ていない。 2008年の金融危機時に各国が実施した空売り禁止措置について、 流動性を悪化させ価格発見を妨げたとする研究が多い一方、 危機時の下落スパイラル抑制には意味があったとする立場もある。 ここは「空売りは常に善」とも「常に悪」とも言えない領域。
日本の空売り規制
日本では金融商品取引法と施行令により、空売りに3つの義務・規制がかかる。
- 明示・確認義務 売注文を出すとき、それが空売りかどうかを明示する (施行令26条の3)。実売りと空売りを区別して集計できるのはこのため
- 価格規制(アップティック・ルール) 株価上昇局面では直近公表価格未満の空売りが、 下落局面では直近公表価格以下の空売りが禁止される(施行令26条の4)。 ただし常時かかるのではなく、基準値段から10%以上下落した場合に発動する トリガー方式。発動するとその瞬間から翌日の立会終了まで規制がかかる
- 残高報告義務 発行済株式総数の0.2%以上の空売り残高がある場合、 顧客は証券会社経由で取引所に報告する義務がある(施行令26条の5)。 取引所は、そのうち0.5%以上のものをウェブサイトで公表している
3番目は実務上使える情報になる。 特定の銘柄に誰がどれだけ空売りを積んでいるかが公開されている。 ただしこれは「その人が正しい」という意味ではなく、 「そう賭けている人がいる」という事実にすぎない。
空売り残高が積み上がった銘柄は、 好材料が出ると買い戻しが集中して急騰することがある(踏み上げ)。 これは会社の価値が変わったからではなく、 売り建てた人が期限や損失に耐えられなくなって買い戻すから起きる。 価格が需給だけで大きく動く典型例で、 価格発見の観点ではむしろノイズにあたる。
信用取引の役割
日本の個人投資家の売買は、その大部分が信用取引で行われている。 2026年8月第3週の東証プライムでは、個人の売り注文の83.5%、 買い注文の82.7%が信用取引だった(金額ベース)。 現金取引はそれぞれ16.5%、17.3%にすぎない。
これが意味するのは、個人の売買代金シェア約3割の大半が、 返済期限と担保維持率という制約の下にあるということ。 信用取引には決済期限があり、株価が下がれば追加保証金が必要になる。
価格形成への含意はリスクの測り方で触れた通り。 下落 → 追証 → 強制決済 → さらに下落という 正のフィードバックが生まれる。 通常の需給(安くなれば買いたい人が増える)と逆向きに働くので、 下落を増幅する。ファットテールの一因がここにある。
確認
ある銘柄で、決算発表後に株価が10%上昇した。 「セミストロング型の効率的市場仮説が成り立っている」と言えるのはどの状況か。
セミストロング型が主張しているのは 公表情報が「速やかに」価格に反映されること。 だから検証すべきは上昇幅ではなく、 反映が終わったあとに予測可能な動きが残っていないか。 2番のように発表後じわじわ動くなら、 それは決算発表後のドリフトと呼ばれる現象で、 公表情報を使って儲けられる余地が残っていることを意味し、 セミストロング型に反する。 3番は発表前に情報が漏れていた可能性を示すので、 ストロング型が成り立っていない証拠にはなるが、セミストロング型の話ではない。 なお、これらを厳密に検証しようとすると 「正常なリターンはいくらか」を決めるモデルが必要になり、 joint hypothesis problem に突き当たる。
「この指標が高い銘柄は過去20年、市場平均を年5%上回っていた」という 分析記事を読んだ。この情報の価値を判断するのに、最も重要な問いは?
McLean-Pontiff(2016)の結果が示すのは、 学術誌に載ったアノマリーのリターンが サンプル期間外で約26%、公表後にはさらに減って 合計で約58%減少するということ(97変数の検証)。 26%はデータマイニングの影響の上限で、 差分の32ポイントが公表によって投資家が取引した結果と解釈されている。 つまり問うべきは「その20年が公表前か公表後か」。 記事になっている時点で、その規則性はすでに公表されている。 公表後の期間でも効いているという検証が付いていなければ、 年5%という数字はこれから得られるリターンの推定値としては使えない。 検証期間の長さ(1番)も無関係ではないが、 期間を伸ばしても公表後に消える問題は解決しない。
ある小型株が、財務から見て明らかに割高に見える。 しかし何か月も割高なままで、修正される気配がない。 最もありうる説明は?
Shleifer-Vishny(1997)が示した 裁定の限界がそのまま当てはまる状況。 割高を正すには空売りが要るが、 小型株は借株が集まりにくく、借株料が高く、踏み上げのリスクが大きい。 さらに運用会社が実行する場合、 ゆがみが拡大している間に顧客資金を引き揚げられうるので、 最も機会が大きい局面で最もポジションを取りにくい。 1番が誤りなのは、効率的市場仮説が 「価格が正しい」ではなく「勝ち続けるのは難しい」を主張しているから—— しかも仮説自体が joint hypothesis problem のため単独では検証できない。 なお「割高だと分かっていても直せない」ことと 「自分が空売りすれば儲かる」ことは別。 直せない理由は、そのまま自分にも降りかかる。
この章のまとめ
- 株価は注文がぶつかった直近1件の取引価格。 価格優先・時間優先の2原則だけで機械的に決まる
- 東証プライムの売買代金は3分の2前後が海外投資家、 個人が4分の1〜3割、法人は数%。 個人の売買は8割超が信用取引
- 参加者は目的も時間軸も制約も違う。 相手が売っている理由は、価格見通しとは限らない
- 2022年の市場区分再編の実質は、 新規上場基準と上場維持基準を揃えたこと。 維持基準はほぼ流動性の指標で、上場は品質保証ではない
- 板寄せは約定株数が最大になる1つの値段を選ぶ。 需給曲線の交点が、比喩ではなく計算手順として動いている
- 効率的市場仮説には3形式ある。 ストロング型は成り立たず、ウィーク型はおおむね支持され、 セミストロング型が争点。 しかも joint hypothesis problem のため単独では検証できない
- 公表されたアノマリーは公表後にリターンが大きく縮む。 一部は偶然、一部は人が使ったことによる消失
- 価格を揃えるのは裁定取引。だが資金の制約・借株の制約・ 代替物の不在により、ゆがみが最も大きい局面で最も働きにくい
- 流動性は幅・深さ・回復力の3要素。 下落局面で痩せ、しかもリスク指標を小さく見せる