判断を歪めるもの
知識があっても同じ間違いを繰り返すのは、間違いが認知の構造に埋め込まれているから。
ここまでの章で、PERの導出も、分散の数学も、資金配分の理屈も出てきた。 それらを全部理解した人が、それでも高値で買って安値で売る。 理由は知識の不足ではない。判断のしかたそのものに偏りがあるからで、 その偏りは知っただけでは消えない。
この章は読んで納得する形式にしない。各項目に体験できる仕掛けを置いた。 自分が実際に引っかかるところまで見てから、対策を読む。
バイアスは欠陥ではなく、多くの場面で有効な近道である。 結果がほぼ乱数で返ってくる市場では、その近道が体系的に逆へ働く
以下のバイアスは欠陥ではなく、多くの場面では有効な近道である。 損失を強く避けるのは生存に有利だし、少ない情報から素早く判断するのも普通は正しい。 問題は、市場という結果がほぼ乱数で返ってくる環境では、 その近道が体系的に逆に働くこと。だから消そうとするより、 働かない仕組みを外側に作るほうが実効性がある。
損失回避
同じ1万円でも、得たときの嬉しさより失ったときの苦痛のほうが大きい。 その比はおよそ2〜2.5倍とされる。 つまり1万円を失う苦痛を打ち消すには、2万円以上の利益が要る。
まず自分で確かめる
2つの選択
問1:確実に4万円もらえる/50%で10万円、50%で0円。どちらを選ぶか。
問2:確実に4万円失う/50%で10万円失い、50%で損失なし。どちらを選ぶか。
価値関数の形
プロスペクト理論では、人が感じる価値は金額に比例しない。 今の状態を原点として、そこからの増減で測る。 しかも減るほうの傾きが急で、増減のどちらも先へ行くほど鈍る。
v(x) = −λ(−x)β (x < 0)
典型値:α = β ≒ 0.88、λ ≒ 2.25
λ(損失の重み)を動かす
横軸は損益額(−10万円〜+10万円)、縦軸は感じる価値。 原点で折れ、左側の傾きが急になる。λ=1 なら折れは消える。
同じ3万円でも、感じる大きさが左右で違う。 下段は「その苦痛と釣り合うのに必要な利益額」。 λ を動かすと3本とも動く。
3万円の損を打ち消すのに、その2倍以上の利益が要る。 これが「損を確定させたくない」の正体で、 合理的な計算ではなく感覚の非対称から来ている。
処分効果 — 勝ちを早く売り、負けを持ち続ける
損失回避が投資で最も明確に出るのがこれ。 含み益の銘柄は「利益を確定したい」で早く売り、 含み損の銘柄は「損を確定したくない」で持ち続ける。 投資家が含み益銘柄を売る確率は含み損銘柄の約1.5倍という 実測がある。
Odean(1998)の実測。含み益銘柄を売る確率が、含み損銘柄の約1.5倍あった。 銘柄の中身ではなく取得単価より上か下かだけで売却率が変わっている。
やってみる — 6銘柄のうち2つを売る
現金が要るので2銘柄を売る必要がある。どれを売るか。 各社の事業内容や今後の見通しに差はないと考えてよい。
それがいくらの損になるか
処分効果には具体的なコストがある。 値動きにわずかな継続性(モメンタム)があると仮定して、 「勝ちを早く売り負けを持ち続ける」戦略と、機械的に持ち続ける戦略を比べる。
条件
上の試算をそのまま棒にしたもの(20期・2000回の平均)。 スライダーを動かして「2000回試す」を押すと引き直す。
継続性を0にすると差は消える。つまり処分効果が損になるかどうかは、 値動きに継続性があるかに依存している。継続性の存在自体は テクニカルで扱った通り議論があり、 ここでは「あるとしたらこれだけ削られる」という条件付きの試算。
ただし処分効果には、継続性と関係なく確実なコストがある。 税金だ。含み益を実現すると課税されるが、含み損は実現しなければ 損益通算に使えない。処分効果はこの点で常に不利な方向に働く (損益通算)。
- 売る条件を買う前に決める。「根拠が崩れたら売る」の 「根拠」を文字で残しておけば、判断の基準が価格から離れる (自分のルール)
- 「今この価格で、この銘柄を新規に買うか」と問い直す。 買わないなら保有する理由もない。取得単価は市場にとって存在しない情報
- 含み益・含み損の表示を見ない設定にする。 見るのは比率(資産全体に対する割合)だけにする
アンカリング
最初に見た数字が、その後の判断の基準点になる。 その数字に何の根拠がなくても効く。 トベルスキーとカーネマンの実験では、ルーレットを回して出た 無関係な数字が、被験者の推定値を有意に動かした。
試す
ボタンを押すと数字が出る。その数字を見てから質問に答える。
架空の会社カミヤ工業の適正な株価を推定してほしい。 この会社のEPS(1株利益)は120円、業績は横ばい、財務は平均的。 適正株価はいくらだと思うか(円)。
投資でのアンカーは無数にある。 自分の取得単価、52週高値、 直近につけた高値、アナリストの目標株価、 1株1000円のようなキリの良い数字。 どれも会社の価値とは無関係だが、判断を引き寄せる。
- チャートを見る前に価値を計算する。 決算書から適正株価の幅を出し、それから現在値を見る。順序を逆にしない
- 幅で持つ。「1400円」ではなく 「前提が強気なら1800円、弱気なら1000円」と幅で出す。 点で出すとその点がアンカーになる
- 他人の目標株価は、その前提とセットでなければ使わない。 数字だけ覚えると強力なアンカーになる
確証バイアス
仮説を立てると、それを支持する情報ばかり目に入り、 反する情報は「例外」「一時的」として処理される。 能動的に探すときも、支持する証拠を探しに行く。
確証バイアスが閉じた輪になっているところ。 情報を集めるほど確信が強まるので、調べた量が正しさの根拠にならない。 輪を切れるのは点線の1本だけ——反証を先に定義しておくこと。
投資での典型的な現れ方。
- 買ったあとに調べ続ける 買ってから読むIR資料は、買った判断を裏づける材料として読まれる。 同じ資料を買う前に読んだときとは、目に入る箇所が変わる
- 反対意見の出所を疑う 「あの人は空売りしているから」「その記事は古い」。 内容ではなく発信者を評価することで、内容の検討を回避している
- 悪材料を「織り込み済み」と呼ぶ 本当に織り込み済みのこともあるが、この言葉は あらゆる悪材料を無効化できてしまうので、 使った瞬間に検証が止まる
- 都合の良い時間軸に切り替える 短期で下げたら「長期投資だから」、長期で下げたら 「今は買い場」。物差しが結論に合わせて変わっている
- 買う前に、この会社が失敗する筋書きを3つ書く。 書けないなら調べ足りない。次章のプレモータムがこれ
- 反対側の主張を、その人より上手く説明できるか試す。 できないうちは、まだ相手の論拠を理解していない
- 売る条件を数値で定義する。 「業績が悪化したら」ではなく「営業利益が2四半期連続で前年割れしたら」。 解釈の余地を残すと、確証バイアスがその余地を埋める
後知恵バイアスと結果バイアス
この2つは別物だが、組み合わさって働く。
- 後知恵バイアス:結果を知ったあとで、 「そうなると思っていた」と感じる。事前の不確実性が記憶から消える
- 結果バイアス:判断の良し悪しを、 結果の良し悪しで評価する。良い結果=良い判断とみなす
市場では結果に運が大きく混ざるので、この2つは特に有害になる。 根拠なく買った株が上がると「自分には見る目がある」と学習し、 よく調べた株が下がると「調べても無駄だ」と学習する。 どちらも間違った学習だが、体験としては非常に強い。
根拠があり、手順を踏んだ
根拠が薄い、手順を飛ばした
この2×2で言えるのは、結果だけを見ていると 2つの枠で誤った学習をするということ。 正しく学ぶには判断と結果を分けて記録するしかなく、 それを意思決定ジャーナルでやる。
- 判断した時点で、根拠と確信度を書いて残す。 あとから書くと後知恵が混ざる。書く時点でしか防げない
- 結果を見る前に、判断の質を採点する。 「使える情報を集めたか」「反対材料を検討したか」「金額は妥当か」
- 1回の結果からは学ばない。 判断の質は数十回の集計でしか測れない。 リスクの正体で見たばらつきを思い出す
生存者バイアス
成功した人の話だけが残り、失敗した人は語らない。 その結果、成功例から共通点を抜き出すと、 失敗例にも同じ共通点があることに気づかない。
1000人に同じ運で投資させる
下は1000人の投資家を10年運用させた結果。 全員実力は完全に同じで、リターンはすべて乱数。 誰にも予測能力はない。
上位10人は年率で全体を大きく上回る。実績だけ見れば天才で、 本を書けば売れる。だがこの結果に実力は1ミリも入っていない。 全員が同じ乱数から引いただけで、上位に入った理由は運しかない。
さらに悪いのは、10年連続で市場平均を超える人が 必ず何人か出ることだ。確率的には 1000 × (1/2)10 ≒ 1人。 その人には「10年連続で市場に勝った」という検証可能な実績があり、 本人も自分に能力があると信じる根拠になる。
これは「実力のある投資家は存在しない」という主張ではない。 実績だけでは実力と運を区別できないという主張。 区別するには、実績ではなく判断の過程を見るしかない。 再現できる手順があるか、外したときに何が起きたか、 同じ手順で複数の場面に対処できているか。
どこに現れるか
| 見えているもの | 見えていないもの |
|---|---|
| SNSで儲かった報告 | 損した人は投稿しない。同じ手法で損した人数が分母から抜けている |
| 「この指標で選んだら10倍株」 | 同じ指標で選んで倒産した会社。後から条件を足せば何でも当たる |
| 実績の良い投資信託のランキング | 成績不振で償還・統合されたファンド。ランキングは残ったものだけの一覧 |
| 長期チャートで右肩上がりの指数 | 指数から外された銘柄。構成銘柄は定期的に入れ替わっている |
| 成功した起業家の投資哲学 | 同じ哲学で失敗した起業家。哲学と結果の因果は検証されていない |
- 分母を探す。「この方法で成功した」を聞いたら 「この方法を試した人は何人いて、何人が失敗したか」を問う。 分母が示せない話は情報として弱い
- 自分の全取引を記録する。 記憶は当たった取引を優先的に残すので、自分に対しても生存者バイアスが働く
- 実績ではなく手順で評価する。 「なぜそう判断したか」を説明できない実績は、運と区別がつかない
過信
過信には3つの形がある。
- 過大評価:自分の能力を実際より高く見積もる
- 過剰な位置づけ:自分は平均より上だと思う (運転技術では約80%の人が「平均以上」と答える)
- 過剰な精度:自分の推定の正確さを高く見積もる。 投資ではこれが一番効く
推定の幅を試す
90%の確信で答える
次の各問に下限と上限で答える。 正確な数字は知らなくてよい。 90%の確率でその範囲に入ると思える幅で答える。 つまり10問中9問正解が目標。
採点すると、ここにあなたの的中率と90%の目標が並ぶ。
実験で報告される的中率の帯(40〜60%)と、目標の90%を1本の数直線に置いたもの。 採点後、あなたの位置がここに刺さる。
売買回数とリターン
売買回転率で5分位に分けると、 最も回転率の高いグループの手数料後リターンは年11.4%、 最も低いグループは18.5%だった。市場は年17.9%。 銘柄選択の質はグループ間でほとんど差がなく、 差のほとんどは売買コストで説明された。
売買回数がリターンを削る量
優位が正でも、コストを上回らなければ売買するほど負ける。 しかも「1回あたりの優位」は自己評価で、 過信があればここが実際より高く入る。それが過信の効き方。
- 予想を数値と幅で書き残す。 「上がると思う」ではなく「1年後に1400〜1900円、確信度70%」。 あとで照合できる形にしないと、精度は永久に測れない
- 売買回数の上限を先に決める。 年に何回まで、と決めておくと1回の重みが上がって吟味する
- 確信度が高いときほど金額を疑う。 いくら賭けるかのケリー基準は、 優位の見積もりが過大だと過剰なポジションを出す。 だから実務では半分以下に落として使う
ハウスマネー効果
「儲けた分のお金」は自分の資産と別扱いされ、 失っても痛くないと感じる。カジノで勝った分をそのまま賭けに戻す行動から この名前がついた(Thaler & Johnson, 1990)。
投資では、含み益が出ている状態でリスクの取り方が急に大きくなる形で出る。 「元本は確保できているから」「利益の範囲でやるなら」といった説明がつくが、 お金に色はない。含み益100万円は、現金100万円と価値が同じ。 これを別扱いするのは、心の中で口座を分けているだけ (メンタル・アカウンティング)。
サンクコスト
すでに支払って取り戻せないコストが、これからの判断に影響する。 経済学的には、回収不能なコストは判断から除くのが正しい。 だが実際には「ここまで投じたのだから」で継続を選ぶ。
投資でのサンクコストは主に3種類ある。
- お金 含み損を抱えた銘柄。「損を確定させないため」に持ち続けるのは、 損失回避とサンクコストの合わせ技
- 時間と労力 何十時間も調べた会社。調べた時間は戻らないが、 「調べたのだから買わないと無駄」という感覚が生まれる。 調べて買わないという結論も、調査の成果として正当
- 公言 SNSや人に「この会社は良い」と言った場合。 撤回のコストが判断に混ざる。これが一番厄介で、 公言するほど判断が硬直する
- 「今この価格で新規に買うか」で判定する。 買わないなら保有理由がない。この問いはサンクコストを自動的に除外する
- 調査の結論に「見送り」を明示的に含める。 調べる前から「良ければ買う」ではなく「調べた結果を書く」と決めておく
- 投資判断を公言しない。 言いたくなったら記録に書く。記録なら後から書き換えても誰も見ていない
確認
よく調べて買った銘柄が1年で30%下げた。判断をどう評価するか。
判断と結果を分ける。2×2で言えば「判断が良く結果が悪い」枠で、 最も学習しにくい場所。ここで手順を捨てると、 次からは根拠なく買うことになる。 ただし「根拠が今も成立しているか」の確認は必須で、 崩れているのに気づかずに保持するのは確証バイアス。 1と2はそれぞれ結果バイアス、判断の回避にあたる。
含み益30%の銘柄Aと、含み損30%の銘柄B。両方とも当初の投資理由は今も成立している。 資金が必要でどちらかを売る。どう決めるか。
取得単価は市場にとって存在しない情報。 1は処分効果そのもので、Odeanが実際に測定した行動パターン。 3は税務上は合理的な場面があるが、投資判断としては 「税のために将来性のある銘柄を売る」ことになりうるので、 まず投資判断を決めてから税を考える順序が正しい。 4は判断を回避して痛みを平準化しているだけ。
ある投資家が10年連続で市場平均を上回った。この実績から何が言えるか。
母集団が十分に大きければ、純粋な運だけで10年連続勝つ人は必ず出る。 1000人なら約1人。だからといって「運だけ」と断じるのも誤りで、 実力のある人も同じ実績を残す。 実績は運と実力を分離しないので、 判断の過程 —— 再現できる手順があるか、外したときに何が起きたか —— を見るしかない。3の「もっと長く」も、 単に母集団が減るだけで原理的な解決にならない。
この章のまとめ
- 損失の苦痛は利得の喜びの約2倍。これが処分効果(勝ちを早く売り負けを保つ)を生む
- アンカーは根拠がなくても効く。取得単価と過去の高値は判断材料ではない
- 判断と結果は別。良い結果が良い判断を意味しない
- 実績だけでは運と実力を分離できない。見るのは手順
- 過信は売買回数を増やし、コストがリターンを削る
- 共通の対策は一つ —— 判断する前に、根拠と条件を文字にしておく