売り時を決める

買うときは何時間も調べる。売るときは数分で決める。逆になっている。

投資の本の9割は「何を買うか」を扱う。 だが実際に損益を確定させるのは売る瞬間である。 買った時点では損も益も出ていない。 それでも売りの話が少ないのは、売りには 「答えが出せる問い」の形をした部分が少ないからだ。

この章では、売りが難しい理由を構造として説明し、 そのうえで事前に決めておける部分を規律の形に落とす。 さらに、売買のタイミング全般について 「実際に回すとどうなるか」を確かめる。

市場は自分の買値を知らない。 「1,000円に戻ったら売る」の1,000円は、自分がそこで買ったという事実からしか出てこない数字である

なぜ売りは買いより難しいのか

理由は市場の側ではなく、判断する人の側にある。 買う前と買った後で、同じ情報が違って見えるようになる。

取得価格アンカー

買った瞬間、買値という数字が判断の基準になってしまう。 これは判断を歪めるもので扱ったアンカリングそのものである。

  1. 1,000円で買った株が800円になった
  2. 「1,000円に戻ったら売ろう」と考える
  3. だが市場は自分の買値を知らない。 1,000円に戻る理由は、自分がそこで買ったことのどこにもない
  4. 正しい問いは「今800円のこの株を、今の判断で買うか」である
  5. 買わないなら、持っているのは買値に引っ張られているだけ

この4行目の言い換えを再取得テストと呼ぶことにする。 「今この価格で新規に買うか」と自問して、答えが No なら 保有し続ける理由は説明できない。

損失回避

同じ大きさの損と益では、損のほうが強く感じられる。 その帰結が売りの場面に直接効いてくる。

含み益のとき 利益を失う恐怖が働き、早く確定したくなる。まだ伸びる株を手放す
含み損のとき 損を確定させたくないので、持ち続けたくなる。回復しない株を抱え続ける

この2つを合わせると、「勝ちを小さく、負けを大きく」する行動になる。

ただし正直に書いておくと、 「損切りが早く利確が遅いほうが儲かる」は自明ではない。 株価が平均回帰するなら、下がった株を持ち続けるほうが正しい。 トレンドが続くなら、勝ちを伸ばすほうが正しい。 どちらが成り立つかは市場と期間による。

確実に言えるのは非対称そのものが問題だということ。 含み益か含み損かで判断基準が変わるなら、 その基準は事業や価値ではなく自分の買値に依存している。 企業価値を見積もるで出した価値に 買値は一切登場しなかった。それが答えである。

売りには「選択肢が多すぎる」

買いの判断は本質的に2択(買う/買わない)に近い。 売りは違う。

選択肢が多いと、「決めない」という選択が既定になる。 持ち続けることには行動が要らないので、 迷った結果として保有が続く。 これは判断ではなく判断の不在である。

対策は1つしかない。買う前に売る条件を書いておく。 持ってからでは、上の3つのバイアスが全部働いた状態で考えることになる。

5つの売却規律

事前に決められる売却条件は5種類ある。 それぞれに効く場面と、効かない場面がある。 1つだけ選ぶのではなく、性質を理解して組み合わせる。

1. 損切りライン

損切りライン 買値から −x% で無条件に売る(典型的には x = 8〜20)

では損切りは無意味かというと、そうではない。 損切りが本当に守っているのは資産ではなく判断能力である。

大きな含み損を抱えた状態では、まともな判断ができなくなる。 取り返そうとして賭け金を上げ、他の銘柄の判断も歪む。 損切りは「その状態に入らないための装置」として機能する。 期待リターンを上げる道具として売り込まれているが、実体はこちらに近い。

2. 利確ライン

利確ライン 買値から +y% で売る、または目標株価に到達したら売る

利確の税コストを計算する

100万円を年7%で20年運用する。 A:一度も売らず20年後に売却。B:毎年売って買い直す(税率20.315%)。

  1. A:100万 × 1.07²⁰ = 386.97万円。 利益286.97万に課税され、手取りは 100 + 286.97×0.79685 = 328.7万円
  2. B:毎年の実効リターンは 7% × 0.79685 = 5.578%。 100万 × 1.05578²⁰ = 296.1万円
  3. 差は 約32.6万円。元本の3割強

同じ運用成績でも、売買の頻度だけで3割違う。 利確ラインを設ける前に、この差を上回るだけの改善があるかを問う必要がある。

3. トレーリングストップ

トレーリングストップ 売却ライン = 保有中の最高値 × (1 − x%)

損切りラインの基準を買値から高値に移したもの。 これで前述の「買値アンカー」の問題が消える。

4. 期限

期限 買った時点で「n か月で想定が実現しなければ売る」と決める

5. 論拠の崩壊——最も重要

論拠の崩壊 買った理由が成立しなくなったら、価格に関係なく売る

これが5つの中で唯一、価格を参照しない規律である。 そして唯一、理屈のうえで無条件に正しい。

  1. 株を買うのは「この会社の価値は今の株価より高い」と考えたから
  2. その判断は、必ず何らかの前提に立っている (新製品が売れる、原価が下がる、シェアが伸びる、など)
  3. その前提が崩れたら、価値の見積もりも崩れる
  4. 価値の見積もりが崩れたなら、保有する理由がなくなる
  5. このとき株価が上がっているか下がっているかは、判断に関係ない

5行目が実行できない。 含み益が出ているときは「まだ上がっているから大丈夫」と考え、 含み損のときは「戻るまで待つ」と考える。 どちらも価格を見て論拠の話をすり替えている。

実行可能にする方法は1つ。 買う前に「これが起きたら売る」を具体的に書いておくこと。 記録と検証の投資方針書がこれを担う。 持ってから考えると、必ず後付けの理由が出てくる。

書き方の違い

検証できない書き方 「業績が悪化したら売る」
「成長が止まったら売る」
「経営に問題があれば売る」
検証できる書き方 「主力事業の売上が2四半期連続で前年割れしたら売る」
「営業利益率が3期連続で低下したら売る」
「CFOが交代し、かつ会計方針が変更されたら売る」

違いは四半期決算を見て機械的に判定できるかにある。 左は判定に解釈が入るので、そのとき望ましい解釈を選べてしまう。

5つの比較

規律基準効く場面効かない場面
損切り買値大負けの防止・判断能力の保護ノイズで刈られる。ギャップで無効化。買値依存
利確買値または価値過熱時の離脱%固定だと大勝ちを取り逃す。税で複利が止まる
トレーリング保有中の高値トレンドが続く相場横ばい相場で往復ビンタ
期限時間塩漬けの防止正しいが遅い判断を切る
論拠の崩壊事業の事実常に。唯一価格を参照しない事前に書いていないと実行不能

同じ5つを、何を基準にしているかで並べたもの。 上の4つは価格か時間を見ており、赤い箱がそれぞれの失敗場面。 いちばん下の論拠の崩壊だけが価格から線が伸びていない —— これが「唯一価格を参照しない規律」の意味で、 表の1行を読むより、線の向きで見たほうが早い。

組み合わせ方の1つの型を挙げる。これが唯一の正解ではない。

  • 論拠の崩壊を主軸に置く(唯一価格に依存しない)
  • 損切りは、論拠を検証する前に致命傷を負わないための保険として広めに置く
  • 期限は「時間」ではなく「検証事項」に付ける
  • 利確は%ではなく、感度表の上限を基準にする
  • トレーリングは、そもそも論拠が「トレンド」である取引にだけ使う

いま、どこに立っているか

損切りラインと利確ラインを引くと、株価はその間のどこかに座る。 引いた線と今の値段の関係を1本で見る。

保有中の1銘柄(架空)

100
−15%
+30%
−20%

3本の線が同時に引かれていることに注意する。 どれが先に当たるかで、同じ銘柄でも結末が変わる。 トレーリングの線は株価が上がると一緒に上がるので、 高値を更新したあとは損切りラインより上に来る —— 「もう損はしない」位置に変わるのがこの規律の本体で、 上のスライダーを右に振っていくと線が追い越す様子が見える。 ただし上の比較表にある通り、 横ばい相場ではこの線に何度も当たることになる。

リバランス——何を買っているのか

個別銘柄の売買とは別に、資産全体の配分を戻す売買がある。 これがリバランス。

株60%・債券40%で始めた資産が、株が伸びて75%・25%になった。 株を売って債券を買い、60/40に戻す。それだけの操作である。

2つの方式

カレンダー方式閾値方式
ルール年1回など、日付で実行目標比率から±5%など、ずれたら実行
長所判断が入らない。実行が確実。回数が読める大きく動いたときに確実に反応する
短所暴落した翌週でも、日付が来るまで動かない荒い相場で回数が増え、コストがかさむ
向いている人手をかけたくない・迷いたくないある程度モニタする人

両方を組み合わせるのが実務的で、 「年1回点検し、そのとき±5%以上ずれていたら戻す」とすると 回数が抑えられる。

リバランスは何を買っているのか

よく「リバランスは高いものを売って安いものを買うので儲かる」と説明される。 この説明は一般には正しくない。

リバランスがリターンを増やすのは、 資産価格が平均回帰する場合に限られる。 トレンドが続く(上がったものがさらに上がる)市場では、 リバランスは伸びている資産を売り続けることになり、リターンを減らす。

実際、株式と債券を長期で持つと、株式のほうがリターンが高いことが多い。 その場合リバランスは「株を売って債券を買う」を繰り返すので、 リターンは下がるのが普通である。

では何のためにやるか。リスクの制御である。

  1. 60/40 で始めた配分は、株が伸びると自動的に 75/25 になる
  2. 75/25 は、自分が最初に「耐えられる」と決めた水準よりリスクが高い
  3. 次の暴落で受ける打撃も、その分だけ大きくなる
  4. リバランスは、放っておくと勝手に上がっていくリスクを元に戻す作業
  5. これはリターンを増やす行為ではなく、リスクを設計通りに保つ行為

だから正しい期待は 「リバランスするとリターンが上がる」ではなく 「リバランスするとリスクが設計通りに保たれ、リターンは少し下がるかもしれない」。

分散が効く理由で見たとおり、 分散の効果はリスク側に出る。リバランスも同じ性質を持つ。 リターンを期待して始めると、期待外れになったときに続けられなくなる。

一括投資か、分割投資か

まとまった資金がある。今日全部入れるか、12回に分けて毎月入れるか。 これは売り時の裏返しの問題で、同じ構造をしている。

理屈上は一括が有利

  1. 株式の期待リターンは長期でプラス(そう信じるから投資している)
  2. 分割すると、まだ投入していない資金は市場の外にいる
  3. 市場の外にいる期間、その資金はプラスの期待リターンを受け取れない
  4. よって平均的には一括のほうが有利になる
  5. これは相場観ではなく、「期待リターンがプラス」という前提だけから出る帰結

4行目は「一括のほうが期待値が高い」であって 「一括のほうが結果が良い」ではない。 個別のケースでは分割が勝つことが普通にある。 投入直後に暴落すれば分割が勝つ。 どちらが勝つかは事前には分からない。

下のシミュレーションで確かめられるのは「一括が勝つ確率」であって、 「一括が勝つ」ではない。この区別が重要になる。

動かして確かめる:一括 vs 分割

1,000回試して勝率を出す

5.0%
18%
12回
10年
一括が勝った割合 —
一括の中央値(1,000万円が) —
分割の中央値 —
一括の下位5% —
分割の下位5% —

期待リターンをプラスに置いている限り、一括の勝率は5割を超える。 だが下位5%を見ると、分割のほうが良いことが多い。 これが分割を選ぶ理由になる。 μ をマイナスにすると勝率が逆転するのも確かめられる。

それでも分割が選ばれる理由

期待値で負けると分かっていて分割を選ぶのは、非合理ではない。 買っているものが違う。

よく見る「ドルコスト平均法は平均取得単価を下げる」という説明は 誤解を招く。 下げるのは取得単価の平均ではなく、 取得単価の分散である。 価格が一貫して上がる期間では、 分割の平均取得単価は一括より高くなる。

分割が買っているのは「安く買えること」ではなく 「高値掴みという単一の事故が起きないこと」である。 効果は期待値ではなく分布の裾に出る。

「下がったら買う」の待機コスト

「今は高いから、10%下がったら買う」。よく聞く方針である。 これを実際に回すとどうなるかを見る。

問題は、下がるまでの間、資金が市場の外にいること。 その間の上昇を丸ごと逃す。しかも下がったときは 下がった価格ではなく、上がった後の価格から下がった価格になっている。

待つ間に起きること

今100の指数。「90になったら買う」と決めて待つ。

  1. 2年間、指数は下がらず130まで上昇した
  2. 3年目に20%下落。130 × 0.8 = 104
  3. 「10%下がった」という条件は満たされた(130からは20%下落)
  4. だが買値は104。最初に買っていれば100だった
  5. 下落を待って正しく待って、それでも4%高く買った

「90で買う」という条件が満たされるには、 指数が最初の水準から10%下げる必要がある。 その間に上昇していれば、絶対水準では永久に条件を満たさない。 待機は「安く買う」ことを保証しない。

動かして確かめる:待機コスト

「x%下がったら買う」を1,000回試す

10%
5.0%
18%
24か月
10年
条件を満たした割合 —
平均の待機月数 —
待機戦略の平均買値(今を100として) —
今すぐ買うほうが良かった割合 —
今すぐ買った場合の中央値 —
待機した場合の中央値 —

注目すべきは平均買値。10%の下落を待っているのに、 平均の買値が100を超えることがある。 上昇した後で下落するケースが混ざるためで、 「下落を待つ」ことと「安く買う」ことは同じではない。

このシミュレーションには重要な限界がある。 幾何ブラウン運動を仮定しているので、平均回帰が入っていない。 実際の相場に平均回帰があるなら、待機戦略はここで出る結果より良くなる。

つまりこのシミュレーションは待機戦略に不利な仮定を置いているので、 結果は「待機は必ず損」ではなく 「待機が得だと考えるなら、平均回帰の存在に賭けている」と読む。

ベストな日を逃す効果——正直な扱い

「過去20年で上昇率の高い10日を逃すと、リターンの大半が消える」。 投資を続けることの根拠として非常によく引用される数字である。

この計算自体は正しい。だが引用のされ方には問題がある。 理由を先に書く。同じ計算で「最悪の10日を逃す」を出すと、 同じくらい劇的にリターンが上がるからだ。

動かして確かめる:上位N日/下位N日を除く

日次リターンから上位・下位を除いてみる

20年
10日
6.0%
20%
全期間保有(100万円が) —
上位N日を逃した場合 —
下位N日を回避した場合 —
上位・下位を両方除いた場合 —

濃い線=全期間保有、下の線=上位N日を逃した場合、上の線=下位N日を回避した場合(対数目盛)。 押すたびに乱数を引き直す。

「上位を逃すと悲惨」と「下位を避けると素晴らしい」は、同じ計算から出る。 片方だけを引用するのは、結論を先に決めた使い方である。

では正しい教訓は何か。大きな日の集中度が高いということである。 リターンの大半がごく少数の日に集中している。 そして上位の日と下位の日は近くに固まって出る (実際の相場では、暴落局面に大幅高の日も集まる)。 だから「下位だけ避けて上位だけ取る」ことは実際には難しい。

正直な結論は「市場に居続けるべき」ではなく 「タイミングを取るのは難しい」。 そして「難しい」は「不可能」でも「やる価値がない」でもない。 できると考えるなら、その根拠を 検証すればよい。 できないと考えるなら、居続けるのが合理的になる。 この数字はどちらの立場も支持しない。

なおこのシミュレーションも正規分布を仮定しているので、 実際の相場より集中度を過小評価している。 リスクの正体で見たファットテールがあるので、 現実の「上位10日」の影響はここで出る数字より大きい。 方向としては、上の結論をさらに強める。

5つの戦略を横に並べる

ここまでの3つの試算は、別々の画面に分かれていて比べにくい。 同じ物差しに載せる。

上の3つのシミュレーションの結果を、元本を100としたときの倍率に直して並べたもの (生成データ。スライダーを動かすかボタンを押すと引き直される)。 上2本は一括と分割の中央値、真ん中は「下がったら買う」で待った場合、 下2本は上位N日を逃した場合と下位N日を回避した場合。 3つの試算は保有年数が別々に設定できるので、 各行の括弧にその年数を入れてある。年数が違う行どうしを直接比べない。 薄い棒が一括の中央値で、比較の基準として全部の行に効いている。 注目するのは順位ではなく差の大きさ —— 入れ方の工夫(上3本)で動く幅より、 少数の日を取り逃すかどうか(下2本)で動く幅のほうが桁違いに大きい。

売る前に確認すること

確認

1,000円で買った株が800円になった。 「1,000円に戻ったら売る」という方針をどう評価すべきか。

正しい問いは再取得テストで、 「今800円のこの株を、新規に買うか」。 買うなら保有を続ける理由がある。 買わないなら、保有しているのは アンカリングと損失回避の結果である。

なお選択肢2(850円に下げる)も同じ誤りを含んでいる。 基準を買値の近傍で調整している時点で、買値に依存したままである。

株60%・債券40%で運用していたら、株が伸びて75%・25%になった。 リバランスして60/40に戻すことの主な効果は何か。

買っているのはリスクの制御である。 75/25 は自分が「耐えられる」と決めた水準を超えている。 暴落時の打撃も、その分だけ大きくなる。

だから期待の置き方が重要になる。 「リターンが上がる」と思って始めると、 リターンが上がらなかった年に「やめたほうがいいのでは」となる。 「リスクを設計通りに保つ作業」と理解していれば、続けられる。

「過去20年で上昇率上位10日を逃すとリターンの大半が消える」という数字。 これから導ける結論として最も正確なのは?

補足すると、実際の相場では 上位の日と下位の日は時間的に近接して現れる。 暴落局面では上下ともに大きく動く。 だから「下位だけ避ける」実行は難しい。 これは「居続けるべき」への支持材料になるが、 上の数字そのものからは出てこない別の事実である。

選択肢3(統計の誤用)も違う。計算自体は正しい。 問題は計算ではなく、片側だけを引用する使い方にある。

この章のまとめ